オモウソラ

日々の想うことをつらつらと。 本家“想空”のミラーブログです。

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映画館に行きそびれてしまってから、見る機会を逃しっぱなしだった「夜宴(女帝)」をようやく見ました。
え~と・・・中国版ハムレットとの触れ込みどおり、ハムレットをベースに中国らしくまとめてある作品かと思います。
ただ、ハムレットが主役ではなく、章子怡(チャン・ツィイー)演じる婉皇后(ハムレットではガートルート王妃にあたる)が主役。また本来はハムレットの実母であるガートルートを、義理の母とすることでオリジナリティを出しています。
ややこいので、まずは登場人物整理から。

 章子怡(チャン・ツィイー) : 婉皇后(ガートルード)
 葛優(グォ・ヨウ) : 歴皇帝 (クローディアス)
 呉彦祖(ダニエル・ウー) : 無鸞 (ハムレット)
 周迅(ジョウ・シュン) : 青女(オフィーリア)
 馬精武 : 殷太常 宰相(ポローニアス)
 黄暁明(ホアン・シャオミン) : 殷隼将軍(レアティーズ)

これで見やすくなった^^
さて。この物語の始まりから少しの間、ほとんどセリフはなくなにやら陰謀めいた暗殺シーンが踊りで表現されています。
ここで、皇太子である無鸞が命を狙われたことにより父である皇帝が崩御したことを知るのです。
彼は父の妃であった婉と幼馴染であり愛し合っていました。しかし婉が父に見初められ皇后となったとき、傷つき地方へ旅立ってしまいます。その旅先で父の死を知るわけです。
都に戻ってみると父の弟である叔父が皇位につき、義理の母であるはずの婉が皇太后ではなく皇后となったことを知り、彼はますます父の死に不信を抱きます。
そして表面上は平静を装い芸事にしか興味がないようなそぶりを見せ復讐の機会を狙っている・・・
ほぼハムレットをなぞったストーリーです。

無鸞は、いったい何のために復讐をしたかったんだろう・・父が殺されたと確信して皇帝の座を奪った叔父を殺したかっただけ?でも“to be or not to be”。彼の思い悩むシーンがないため、はっきり言って唐突感しかありません。
婉を奪われた嫉妬心から父や叔父を恨んだのならわからないでもないけれど、彼は皇帝になりたいわけでもなく、父への愛情を感じられるシーンもなく宙ぶらりん。
一方、婉もやはり中途半端。
一番愛していたのは無鸞。だから彼のことだけ大事。嫉妬深く愚かな女であるわりに、なんとも迫力に欠けるというか、詰めが甘い感じがした。終始悪になりきれていないところが、宮廷のどす黒い欲望に飲まれてしまったんかなあ。
茜色が好きなのは欲望の色だから、すべての欲望を飲み込んで自分だけが光り輝くのよ。っていうセリフが悲しいね。最後は自分も茜色の中に飲み込まれてしまったね。
皇帝のグォ・ヨウのねっとりした感じが、なんかいやらしさ満点で非常に良かったと思う。皇后が自分を本気で亡き者にしようとしていることを知り自ら命を絶つわけだけども、あそこはジタバタしてくれても良かったような・・・まあ、青女の誠実な愛情ってものを見せ付けられて、その場にいた欲まみれの自分が恥ずかしくなったんだろうと予測。
あそこででん!と居座ってる皇后にもっとふてぶてしさが欲しかったけどね。
で、今回最も良かったと思う青女に周迅。すごく良かったと思う。聡明で一途な女性を儚く演じてました。
自分が愛されていないことを知っていて、それでも想う深い愛情。無鸞のどこに惹かれたのか知らんけど・・。「自分が愛されていない」という部分で、彼女は無鸞の気持ちを一番理解してあげていた人物。
“越人歌”は、王子に恋をした舟漕ぎ娘の悲しい詩だと。無鸞がこの詩の本当の心を知ったときには、青女はもう生き返らなかった。


この作品は復讐劇。
復讐しようとしていたのは無鸞だけじゃない。全員がそれぞれの思いを持って復讐していく。
青女も、自分の死を持って復讐したように思えてならない。
純粋で無垢、だからこそ彼女は強い信念を持って愛だけに生きられたんだろう。聡明だから見えすぎてしまう醜い争いごとの中

彼女は皇帝の杯に毒が盛られていることも、父と兄が謀反を起こそうとしていることも、たぶん察していた。“越人歌”を歌い舞いながら、自分と踊っているのが無鸞であると気付いていた。
最後に彼女は彼に愛を気付かせ、そしてもう取り戻せない愛を永遠に見せつけた。あのシーンは圧巻だった。恨みからの復讐ではなく、愛するが故の復讐。すごいと思った。
2人の女から愛される無鸞があまり魅力的でないため、なんかよくわからないストーリーではあったのだけど、どうせ章子怡を主役に据えてるのなら思いっきり比重を置いてくれたらよかったのに・・と思う。加えて章子怡にもっと迫力があると見ごたえがあったのになあ・・と。
したたかさ図太さが足りないので、どうしてもキャラクターが細くなっちゃうんだなあ・・・
章子怡中心でつらいなら、周迅の存在をもう少し大きくして対比させても面白かっただろう。周迅もそのぐらいの技量持ってる人だと思うし、全然いけたんじゃないかなあ。
あと、わざわざタイトルを「女帝」とつける意味はあったのかな。原題の「夜宴」の方がこのストーリーの意味を表してると思うんだけど。
あくまでも章子怡主演てことをアピールしたかったのだろうか。












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