オモウソラ

日々の想うことをつらつらと。 本家“想空”のミラーブログです。

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初めてスクリーンで「覇王別姫」を見て、この作品が日本でまた見られるようになった幸せを噛みしめました。
本当になんて素晴らしい作品なんだろう…何度も何度も思いました。
そして今まで気づかなかったいろんなことが見えてきて、本当にレスリー・チャンという人は凄い人だったとつくづく感じたのです。
「覇王別姫」の監督、出演者、スタッフ、、作品を創る立場の人々の中で、この作品について一番深く理解していたのはレスリーじゃないかって、思いました。

この作品の複雑さは、根本が単純であるってことだと思うんです。
蝶衣という人は、男女の感情を彷徨っているようにも、自分自身の所在を確信できないでいるようにも思えるけれど、彼の望むことというのはいつだってシンプルで嘘がなかっただけなんですよね。自分の大切なものに対して真剣で誠実で正直であっただけのこと。複雑にしているのは周りの思惑や偏見の存在。
「蝶衣といると面倒ばかり。それとも彼が面倒を引き寄せるの?」
って菊仙のセリフがありますが、彼が引き寄せちゃうんです。
彼には野心がないから、それを利用して生き残ろうとする人たちに利用されてしまう。
蝶衣にとって大切だったのは京劇の舞台であり兄弟子だった。それらだけが蝶衣が蝶衣であることを許してくれる存在だったから。
だからその場所を奪おうとするものに対しては頑固に守り通す強さがある。時には命さえ賭けてしまうほど。蝶衣にとっては、それらがなくなってしまっては生きる意味を持たないのだと思う。
彼には野心はなかったけど、周囲の野心をも越えてしまうほどに強い思いがあったんですよ。だからあの激動の時代を生き抜いたんだと思う。彼の思いは死ななかった。
その頑固さには本当に頭が下がります。

「彼は名優になるまでに何度ぶたれたんだろう。何度ぶたれてもいい。名優になりたい。」
口には出さなかったけど、小豆子(蝶衣の子ども時代)もそう思ったに違いない。
だから逃げ出して戻ってきたとき、どんなにぶたれても決して言葉を発しなかったし、兄弟子が涙を流しながらキセルで口を戒めたときも抵抗しなかった。
ただあの舞台に立つために、彼は強い決心をしたんだと思う。

何度も兄弟子と道を違えるシーンが出てきますが「兄弟子には舞台を捨てることは出来ない」という確信があったんですよ。蝶衣には。
それは二人が幼少から辛い稽古を耐え抜いてきたという自負があるから、蝶衣にはわかるの。
小樓も蝶衣の舞台に対する凄まじい思いをちゃんと理解していて、だから彼を庇って菊仙と対立したりするんだよね。
小樓も本当は京劇の世界だけに没頭したかったんじゃないかな。袁先生が処刑されると知ったとき「そんなに簡単に彼を殺すのか」と言ったセリフが印象深いです。
細かいところで対立はしてたけど、根本的に京劇の奥深い魅力に取り付かれていたのは同じだもの。
小樓は蝶衣に対して、弟弟子として可愛がっていたと思うし大事にしてたと思う。そして嫉妬もあったと思う。
同じように訓練して人気役者になって、蝶衣はなんのためらいもなく自分のために京劇のために命さえも賭けてしまえる。
女形だから蝶衣は蓋世英雄、覇王と呼ばれることはないけれど、小樓は自分が憧れていた覇王になれなくて、蝶衣の生き方こそが英雄のように思えたんじゃないかな。

広場で自己批判させられるシーンは胸が痛いです。それぞれの思いが伝わるから。
絶対に口にしてはいけないと思っていたことを吐き出してしまって、小樓は後悔しただろうけど同時に安堵感も感じていたと思う。

「ここまで堕ちてしまった京劇の世界は滅びるしかない」

悲しいくらい伝わってくる蝶衣の孤独に「何で涙が出るんだ」とか考える必要もないくらい、ただただ蝶衣の心を感じるほど苦しかった。
芝居に獲りつかれていた蝶衣は悲劇の人なのかもしれないけど、そのように生きることが出来る人はほんの一握りだけ。命さえも惜しくないほど没頭できるものに出会えた幸せな人なのかもしれない。
耐え難い孤独と苦しみを味わうことになったとしても、、、彼が舞台に生きることを決心したときから、彼はその孤独から逃れられなかったんだと思う。
レスリーの蝶衣が抜きん出て素晴らしいのですが、菊仙、小樓もすごく人間くさくて本当に面白い。何度見ても深い感動を味わえる作品です。
こんなにすごい映画を撮った監督がなぜ「プ…(以下自粛)

蝶衣が女形だったから英雄とは呼ばれなかったけど、それはレスリーも似てる。
もし蝶衣が覇王だったら?きっと京劇のために命をかける姿は英雄と呼ばれたに違いないと思うの。
だけど蝶衣が女形だったから、人の心を揺さぶる強い感銘を与えることが出来たんじゃないかとも思う。
もしレスリーが、いわゆる男優、いわゆる男性歌手らしい活動をしている人だったらどうだっただろう。
そんなのレスリーじゃない!って思う?
もちろんそれもレスリーだと思う。レスリーの持つ一面だと思う。
でもレスリーはそれさえも越えて、目に見えるものだけがすべてじゃないんだってことを全身で発してた。だから誰にもマネできない強い光を放ってたし、亡くなった今も私たちの心に強く訴えかけてくる。
彼の内から生まれてくるものすべてがレスリーなんだもの。
レスリーはいつも人の心を激しく揺さぶってくる。時々冷たくしたり、時々甘えてきたり、そうやって私たちをあったかく包んでくれる。

「人の生きる姿を演じるのに男性とか女性なんていう違いはない、ただ人間としての気持ちを演じるだけだ」
って、私の好きな男役さんが言ってました。
性別の違いで心情に多少の違いはあるだろうけど、本質の部分で違いはないと思う。ただその人である、というだけのこと。
「人間(役)を作っていくときは、先入観をなくしてその人間の本質を見ることが大事だ」
とも言っていました。私は目から鱗だったんです。色々と物の見方が変わりました。

レスリーもそうやって役作りする人だったんだと思う。そうやって物を見る人だったんだと思う。だから私は蝶衣が大好きだしレスリーが大好き。
レスリーの演じる蝶衣に違和感を持たないのは、彼が蝶衣の本質から創り上げた役だから。
レスリーがかっこいいと思えるのは、彼が張國榮という人間の本質に嘘をつかなかったから。












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